『どこかで』@石動シアター血パンダ 前口上

演劇が発生する瞬間について、ずっと考えています。
血パンダは最初から積極的に劇場を使わないで活動をしてきたのですが、富山のオルビスや富山市民プラザなどを幾度か利用して、やはり劇場の必要はないという考えに至りました。
劇場に足を運び、フィクションに没入する体験は、余所がお金と時間をかけてやっているので、血パンダでは日常に演劇が滑り込む瞬間についての考察をしていこう。関西で小劇場で演劇をやっている時から時間を経て、改めてそんな風にかんがえたものです。

ひょんなことから内川に稽古場ができて、その空間はとてもいい感じで利用できるし、実際好きなように作り込めます。
何もない場所から何かが発生する可能性は無限ですが、そこから発生させられる情報にはノイズも過剰さもありません。
日常からノイズや過剰さを排除したら、そこには何も残らないのではないか。
専用の空間の便利さは、そのまま弱さに通じるし、中途半端に具体化するくらいならば、場が感じさせる文脈ときちんと向き合う方が、様々な可能性を残しているだろう。では、どうするのか。

血パンダは、その「どうするのか」をずっと模索しています。

そういえば、今回のお芝居『どこかで』は、幾つかのキーワードと、「ギタリストだった父親の話し」と「お嫁さんと反りが合わないおばあさんのお話しを作っていく」という二つの話しを巡る雑談が交錯して、目の前で何が繰り広げられているのか、意味や背景の合理性を考え始めると、確実に集中力を消費します。目の前の現実をどこまで理解する必要があるのか。見て取れること、聞かなかったこと、言わなかったこと。問うてもどうにもならないこととどう向き合うのかは、日常を過ごすなかでもとても大きな問題ではないかと考えている次第。
なにはともあれ、演劇をどうぞ。